しばたゆり作品のイメージ図

Texts

神戸新聞 2007年5月11日(金曜日)夕刊 随想 1

あなたの関わりの深いモノはなんですか?     

何も持たずにこの世に生を受けた私たちですが、かたづけのへたな私の家の中はつきあいきれない物であふれかえっています。しかも物にはこだわらないと言いながら物達と別れる踏ん切りがつかずにいます。数年前に小さな頃から順番に、覚えている限りのいろいろな出来事と出会った物達を、試しに年表に書き込んで行きましたら、つまらない物を買って来た私の歴史があからさまになりました。

鼻が磁石になった豚のおもちゃ、ぎざぎざ切れるはさみ、気まぐれで買った調理器具。絵や写真の道具などに至っては使っていない物もおびただしく、仕事柄とは言え、どうにかならないかと考えあぐねる物達がいっぱいです。それはとても情けなく切ない私の歴史でありながら反対に物達が語る私の姿だと感じました。それらの物を眺めていると私がここに居る事や、私と私が作る物との関わりなどの私の世界の一つの見方があるようにおもえました。?他の人は何に心が動き何を大事にして、何と関わりを深く思っているのだろう?」

それで1996年より始めたのが、人々の手の上にその人の関わりの深い物を置いてもらい写真を撮影する『わたしのモノ、わたしとモノ。』という作品です。いままで約2500人の方の写真を撮影させて頂きました。ほとんどの方が撮影の時にそのモノとの物語を聞かせてくれます。亡くなった方にまつわるモノを手のひらに載せて語る方の中には嗚咽で撮影に一時間以上もかかる方や、モノの話に夢中になってなかなか撮影出来ない方もいます。私はこの作品で様々な振り幅の違う『人とモノ』の関係を写真と物語で追体験する事になりました。あなたはあなたの手の上に何を置きますか?


神戸新聞 2007年5月28 日(月曜日)夕刊 随想 2

あなたの関わりの深いモノはなんですか?続き

前回も紹介しましたが、両手の上に宝物を置き写真に撮り、まつわる物語を語ってもらうという作品の名前は“私のモノ、私とモノ”といいます。 参加していただいた2500人が運び込んで下さったモノには2500の物語がありました。ご自分のとても大事な時代の宝物として、戦争の記憶が色濃い物をお持ちの方がいました。少年時代に焼け野原で拾ったB29のプロペラ。帯と足袋の小はぜをボタン代わりにしてお母さんが作ってくれた財布。戦場から持ち帰ったコンビーフの缶あけ金具から作った縫い針。天皇閣下から頂いた軍隊手帳。大陸で人を噛み殺す訓練をさせた犬との軍隊時代の写真。撮影をしていた私や若いスタッフは、殺すか殺されるかの切実な物語を宝物として懐かしそうに誇らしそうに語るお年寄りに、かえって戦争の恐ろしさを目の当たりにし、凍り付きました。

2002年兵庫県立美術館での撮影では、やはり7年前の神戸淡路大震災にまつわる物を持って来られた方がいました。倒壊した家より出て来た母の女学生の頃の日記。全壊した暗闇の中でたまたま踏んだ拍子に放った光で救助されるきっかけになった時計。燃えた家のがれきの中から出て来た鉄の塊になった祖父のかたみのカメラ。今眺めると撮影した時の皆さんの表情とともに、12年前の震災の現実が鮮明に蘇ります。長い歴史の時間からながめると、モノもそして写真も手のひらを差し出した人でさえ、いつか形あるものはなくなるのでしょう。でも人々が膨大な持ち物から選び、手の平に置いた瞬間と思いや物語は、風化せず消えないのではと深く感じました。


神戸新聞 2007年6月12日(火曜日)夕刊 随想 3

自然の力

懐かしいという感覚は再び感じ入ると言う事なのでしょうか。この所私は60年以上前に祖母が母に作ったしつけのついているままの単衣の着物を前に、懐かしい気持ちとともに京都で開かれるお茶会の事を思い描いています。私はそこで慣れない着物をまとい、公開制作のパフォーマンスをすることになりました。 去年米国の7つの大学などの企画で10人の日本人作家の展覧会に参加し滞在制作しました。その美術館の館長や教授を日本に招き、里帰り展を6月20日(水)から7月1日(日)まで京都造形芸術大学ギャラリーRAKUで催します。(入場無料)  関連シンポジウムやレクチャーが京都、滋賀、石川であり、そして特別企画としてのお茶会は6月24日(日)に京都芸術センターの80畳の大広間で行われます。我々作家達に贈られた米国の陶芸家の茶碗10個が始めて揃い、企画者3人を迎える趣向で作家達がお届けします。器が取り持つ縁で集い、お手前をするほんの短い間に、私のささやかな緑色の御茶の粉を使ったパフォーマンスをご覧頂きます。そして同じ緑のお抹茶を飲み体の一部になることで、少し違う見方で御茶を感じて頂けたらと思います。それはお茶会を通して、米国での展覧会のテーマである「自然の力」に対する私の一つの答えでもあります。

私にとって、作家や企画者や滞在した日々、お茶碗そして亡き母や祖母の暖かみをお抹茶の緑の粉を介して、再び感じ入る時間になるのではと楽しみにしています。お茶会は1時、2時半、4時の3席があります。お申し込み:6月15日までに荒蒔まで、FAX(077-573-5750)(京都芸術センターは申込み窓口ではありません)


神戸新聞 2007年6月27日(水曜日)夕刊 随想 4

空気の眺め方            

私にとっての展覧会場という表現の発表の場は気づきの交換の場であってほしいと思っています。送り手は思いや気付きを形に作り伝えようとし、受け手は受信した何かを体の中で作り直す事で気付きを完成します。

1993年岡山市内に自由工場というアーチストが自主運営する多目的アートスペースが立ち上がりました。そこは様々な人達が表現する場としてしばたさんならここで何をしますか、と投げかけられました。それからの何日間はただそこの空気を眺めて表現の発芽を探していました。  私はここで作り出されるものは塵やほこりということに行き当たりました。日々ここに降り注がれるように見える塵や埃はこの限られた空間と時間でしか作り出されない証拠の品のように見えてきました。それが私の気付きの始まりです。

 掃除をして集めた塵や埃を私は絵の具の顔料とし、この空間の証拠を刻印にするための手段に版画を選びました。銅版の上にローラーで油を塗り、その上に塵や埃を降り注ぎます。湿らせた用紙を上に置き、銅版画のプレス機でじっくりと用紙に塵や埃を食いつかせて行きます。その限られた空間と時間の証拠としての版画はダストプリンツ(ホコリの版画)と名付けました。  会場でダストプリンツを制作し展示していましたら、来られた女性が、「始めは何を汚い事をしているのかと思ったけれど、掃除するたびにこの事を思い出すでしょうね。これからは空気の見方も変わるわ。」と言って下さいました。 その女性は私のメッセージを軽々と受け止めてご自分の中で私の気付きを自分の気付きとして完成されたようです。気付きの授受が行われた美しい瞬間でした。


神戸新聞 2007年7月12日(木曜日)夕刊 随想 5

土はどこから  

こどもの頃私は、大地に指でそっと描き始めそれを段々広げ、自分を包むような場所にするのが好きでした。不思議だったのはこの土はどこからやって来たのかということでした。そして少し大きくなり、大地の下に地層がある事を知り、人間の歴史が見えて来る事や地層に包み込まれた膨大な時間にあこがれを感じました。

前回お話した埃を使った版画『ダストプリンツ』は14年ほどで600枚近くになりました。美術館で展示する時、時間の古い初期のものから順番に上に上にと天井まで重ね、吊るしたり、壁に沿わせたりして設置しています。一番天井に近い作品が現在に近い作品になります。場所は変わりながら一枚一枚私が関わったその空間の記録、私の時間、私の地層を表します。そしてその先に私の未来や死があるように思えます。

若い時には日々の事や私の表現と、自分がいつか死んでしまう事について、さほどつながりを感じませんでした。淡路神戸大震災は人間も含む形あるものの行く末について具体的なイメージを私に与え、数年前に幸運にも私の腕の中で亡くなった両親の死は自分の限られた時間について考えさせられました。今死生観は全ての根底に横たわり私の生活や自分の表現とつながっています。

人が亡くなった時、火葬され灰や骨として又は窒素や炭素となって空中をさまよいいくぶんかは大地にたどり着くでしょう。

何も持たずに生まれて来た私達が又、何かしらの証拠として大地に記憶を残し、何も持たずに死んで行きます。地層から生まれ地層に帰って行けるとしたら私はそこに深く美を感じます。私は今、ここにいる事を考え続けています。土はどこからやってきたのか思いを馳せながら。


神戸新聞 2007年7月30日(火曜日)夕刊 随想 6

衝動と方法

大阪アウトドアスクールの校長でアーチストの二名好日さんが2002年新緑の頃、私を無人島に連れて行ってくれました。広場の周りに木々が茂り、グリーンのドームのような木漏れ日のすばらしい場所の奥まった高い枝から葛のツルが垂れ下がっていました。私はその美しさに心を打たれました。  私の表現活動は絵画が全ての始まりで、学生の頃は日本画を学んでおりました。しかしそれから久しく立体や写真や版画などをして描く事から離れていましたのに、その葛のツルが垂れ下がる美しい光景を見て私は描きたい衝動に駆られました。その方法も完成予想のイメージもその時連なりのように描きたい世界が立ち上ってゆき、私は実行に移しました。

 私はその光景をスケッチし撮影した後その葛を持ち帰りました。帰り路、押し花をしている友達に植物の乾燥と色の保存について教えてもらい、薬品会社に電話をして乾燥剤を買いました。帰宅して私は葛を乾燥させ、葛をツル、葉、花など場所や色毎に分けました。そしてそれらを乳鉢などで粉状にし、葛の各色を持った粉を数種類作りました。日本画は顔料という絵の具の粉と膠を使って描きます。私は葛のツルを葛から作った粉と膠で描きました。無人島で出会ったかけがいのないあの心を打った葛のツルを描くのに、画材屋さんで売っている何の関係もない色の粉や絵の具を使うのではなく、私を感動させたあの葛そのもので描く事が、私が描きたいという衝動に唯一答える行為と思えました。

私はクマのぬいぐるみ、衣類、家具、動物と描く事になります。マテリアルカラーズという作品のシリーズがはじまりました。そのモノたちは、すでにそこになくなり、しかしそれについて語る伝達者となった。


神戸新聞 2007年8月14日(火曜日)夕刊 随想 7

呼吸

わたしは私と外界との関わりに焦点をあてる事で思いを形にして表現活動しています。  呼吸している私たちの体の中と外を行き交う空気について考えた時に、私は表現活動と平行に呼吸を重んじている武道について知りたくなりました。日本らしい合気道にひきよせられて道場に通い始めたのが4年ほど前です。いまもまだまだ初心者です。

芸術は人間が生きて行く上での生きる術のアートという言葉を使いますが、武道もマーシャルアーツと訳する生きる術の一つです。自分1人が相手と繋がったところでもがくのではなく、相手と繋がった二つの体を一体としてどう促して行くかという、手だてとしての道があるようです。その相対した時の捌きの鍵に呼吸があります。相手の呼吸に合わせて息を吸い、捌く時に吐き、又投げられる時に吐く。私にはその動きが非常に美しく感じます。  武道をはじめてよく似ているなと感じる事に書道がありました。人が筆を持つ時、筆と敵対などせず、絵を描く時と同じく筆の先まで意識を通わせて、息の流れに合わせて書き進みます。こどもの頃よく、書き進んで行くときにゆっくり吐きながら、とかそこで息を止めてと母にかけ声をかけてもらってお稽古をした事を思い出します。

私は表現活動でそんな武道の考え方に学ぶところがありました。日本やアメリカでさまざまな年齢と肌の色の男女に上半身はだかにで深い呼吸をしているところの映像を撮影した作品があります。直径3m以上の球面の一部の形のスクリーンは映し出す人々の呼吸にあわせて膨らんだりしぼんだりします。この表現では今はまだ道の途中で、健康な50歳代までの人々の映像が続いています。そうでない方、例えば乳児や妊婦やお年寄りの方などのご協力を募っています。数人の方が名乗り出て下さっています。今この大地に同時に息づいている命の事を、私1人でもがくのではなく、地球単位で思いを馳せる試みはまだ続いています。


神戸新聞 2007年8月28日(火曜日)夕刊 随想 8

術を探す旅

私はそれがどういう事を意味するのか解らないまま、単なる感で、美術の方に進むな、と思ったのが小学校の5年頃です。学校の勉強も先生の言われる事もほとんど解らず悩める頃で、ただ美術の時間だけがリラックス出来たからでしょうか。当時尼崎に暮らしていた私は、京都の方向に指を指して、絵ばっかり書いていたらいい大学があるらしいと自分の未来を語っていました。 その頃私が知る芸術は印象派のゴッホやマネです。光のゆらめきや色の持つ力を絵の具で表現するその魅力に憧れました。

理科で光の反射を習った時、色を感じるとは、その色を見ているのではなく、赤の光だけ反射している光を見ているから赤に見えると学びました。理解力の少ない私には鵜呑みにすることですら難しいことでした。スーラが点描で川辺の風景を描き、色と光の関係を表した事を同じ頃知りました。点描の色の粒達が目を通って脳で混ぜられる?という道理に、私はその事が不思議で目の中の網膜や光の粒、脳について深く感じるようになりました。そして私の周りの世界が粒となって見えそうな感覚にひたりました。

そういう感覚が好きで美術の仕事が出来る事を私は望んでいたと感じます。この事は私にはとても大事な事で今の作品に底通している感覚と言えます。そのような中で私にどんな表現の術=アートがあるのか、私はその時のひっかかりの解決策として作品を作って来たと言えます。

この随想も8回の最終回。自分の思う事を見据えて文字で伝えるという、私には始めての経験を与えて下さった事に感謝致します。私の随想を5年生の私が見た時、進路について考え直すのかどうかこれからも私は表現の術を手探りし続けて行くようです。